Monthly ESSAYS

『本のある時間』は、さまざまなジャンルの本との出会いを通して、本を読むことの楽しさ、大切さ、手に取ることの喜びを共有するネット広場です。
このコーナーでは当サイトの編集委員が、その専門の視点を踏まえた本にまつわるコラムを掲載しています。
皆様の本との新たな出会いに繋がれば幸いです。

こんな昔の本ご存じですか

10/07/01 UP!

本が生まれて2000年以上経過しました。その間にさまざまな形の本が生まれました。そこで私のエッセイでは、現在あまり書店で見かけなくなった西洋の本を、できるだけ写真入りでご紹介したいと思います。書物史の素敵な世界に皆さんをご案内いたしましょう。

第9回 チャールズ・ラウリー退職記念証

ヴィクトリア朝後期から世紀を超えてエドワード朝まで、イギリスの社会では、教会の牧師や会社の重役などを退職する人物に、周囲の人々が手書きの一点ものとして「退職記念証」Retirement Testimonialを贈る習慣がありました。わが国でいえば、記念の賞状に当たるかもしれません。高い社会的地位から引退する人物の長年の功績を称え、余生が素晴らしいものとなることを祈る内容の文章が書かれ、関係者が署名を連ねるのが常でした。多くは当時流行していた中世趣味の装飾文字や欄外装飾を凝らした、立派な工芸品とも見える出来栄えを持っていました。一枚物は少なく、ヴェラムなどに描かれた数ページからなるアルバムの形状が多かったようです。そして街には、この種のものを作る専門店もあったようです。

退職記念証は、おそらく多くの関係者が集まるパーティで、退職者に感謝をこめて贈呈されたことでしょう。残念なことに、第一次世界大戦が勃発して、西欧における価値観に大きな変化がもたらされた結果、退職記念証もさほど豪華なものは少なくなりました。

退職する本人には手放しがたい宝物だったはずの退職記念証も、没後は遺族から大事にされることは少なく、市場に現れるようになりました。ところがまだ現代のコレクターが競って収集することもない分野のため、たまに古書店に並んでも、高い品質のわりにさほど高価なものではありません。(こんなところで言ってしまうと、突然コレクターが現れるので怖いのですが)

ここにご紹介するのは、ラファエル前派の画家たちと親しかったチャールズ・ラウリー(Charles Rowley, 1839-1933)が、1911年にマンチェスター市立美術学校の行政職を引退した際に贈られた、8折本の記念アルバムです。小さいながらも、歴史上の一時代の特色をよく表わした作品に仕上がっています。製本も中身もヴェラム製で、表紙にはラウリーの横顔の金属レリーフが埋め込まれています。(画像1)

チャールズ・ラウリーが、1911年にマンチェスター市立美術学校の行政職を引退した際に贈られた、8折本の記念アルバムのイメージ

画像1 拡大

ラウリーは北方の工業都市マンチェスターで生まれ、ほぼ一生をその周辺で過ごしました。決して富裕な出身でもなく、健康というより病弱だったのに、その90年あまりの人生で、美術や美術教育に一生を尽くしました。父が額縁の製造業をしており、彼もその仕事に携わった青年時代から、ラファエル前派の画家たちと親交を結びました。バーミンガム、リヴァプール、マンチェスター、シェフィールド、ニューキャッスルなど、イングランドの北部工業都市に生まれた新興の産業資本家たちは、彼らの絵画を貪欲に収集したのです。これらの街の中心部にある美術館に行けば、その証拠を色々目にすることができます。

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