Monthly ESSAYS

『本のある時間』は、さまざまなジャンルの本との出会いを通して、本を読むことの楽しさ、大切さ、手に取ることの喜びを共有するネット広場です。
このコーナーでは当サイトの編集委員が、その専門の視点を踏まえた本にまつわるコラムを掲載しています。
皆様の本との新たな出会いに繋がれば幸いです。

こんな昔の本ご存じですか

11/07/01 UP!

本が生まれて2000年以上経過しました。その間にさまざまな形の本が生まれました。そこで私のエッセイでは、現在あまり書店で見かけなくなった西洋の本を、できるだけ写真入りでご紹介したいと思います。書物史の素敵な世界に皆さんをご案内いたしましょう。

第21回 英語俗謡の宝庫―パーシー司教のフォリオ写本(その2)

 アメリカ人学者フランシス・ジェームズ・チャイルド(1826−95)が、ドイツに留学してフィロロジー(文献学)を学んだことは前回記しました。19世紀前半に英語圏でこの学問を学ぶことができる大学はなく、みなドイツに留学したのです。著名な詩人でハーバードの教授にもなったロングフェローもその一人でした。

 当時、ドイツでは民話(メルヘン)採集で有名なグリム兄弟が活躍しており、民衆文化を記録し公表することを旨としていました。特に長兄のヤーコブ・グリムはすぐれた言語学者でもあり、完成に百年以上かかった『ドイツ語大辞典』の編纂も手がけました。

 チャイルドが民話や俗謡に関心をもったころ、イギリスでもパーシー司教の『古英詩拾遺集』をバイブルのように崇める人々、多くは愛書趣味の収集家が1840年、パーシー協会を設立して他の俗謡を採集し、パーシーと同じように勝手に「改竄」して、出版していました。しかし1852年には協会は瓦解しました。

フレデリック・ジェームズ・ファーニヴァル

 そのころイギリスの学界に現れたのが、ケンブリッジ大学出身のフレデリック・ジェームズ・ファーニヴァル(1825−1910)でした。途方もないエネルギーをもつこの人物は、グリムのドイツ語辞書に負けずに、サミュエル・ジョンソン編纂の英語辞典(1755)を改訂すべく、『新英語辞典』(後の有名な『オクスフォード英語大辞典』)の編集の必要性を世に訴えました。そして編集の助けになるように、今も続く初期英語テクスト刊行協会、チョーサー学会など、多くの文芸協会を設立しました。

 ロンドン留学中の夏目漱石(当時は金之助)が面会にでかけて、「ファーニヴァルに会う、頗る元気な爺さんナリ」と日記に記したのは世紀末、ファーニヴァルが75歳の誕生日祝いに一人乗りのカヤックをもらったころでした。彼は週末に労働者大学に通う女子学生とテムズ川でボート漕ぎをするのが趣味だったのです。

 ファーニヴァルはチャイルドの訴えに耳を貸して、パーシーの子孫に接触、多額の謝礼をちらつかせて、パーシー・フォリオ写本の転写、印刷の許可を得ました。最終的に大英博物館に収蔵されたこの写本の忠実な校訂版は、1867−68年に分厚い三巻本で世に出ました。編者はジョン・W・ヘイルズ(漱石は彼にも会いに行っています)とファーニヴァルの二人、チャイルドも協力者の一人としてタイトルページに名前が挙がっています。そして第一巻の序文には、ファーニヴァルが写本に関するごたごたの顛末が記されています。

 こうしてパーシー・フォリオ写本の本文が「改竄」されることなく、忠実に再現されたのです。ところが、ファーニヴァルたちはこの写本に含まれる、エリザベス朝やジェームズ朝に流行った猥雑なバラッドが、ヴィクトリア朝の乙に澄ました倫理観に合わないと判断して、一般公開をためらいました。そして1868年、これらの唄だけを‘Loose and Humorous Songs’と題して別刷りにし、予約購読者にだけ届けたのです。この題を見て、猥雑な詩集だと判断できる日本人は少ないのではないでしょうか。英語でCuriosaといえば、珍本よりも春本を指すのと同じ感覚です。

 ファーニヴァルらの校訂版は4巻本だったのに、普通は3巻本で流通しました。わたしもあるとき購入して、まじめな詩を楽しんでいました。ところが1975年、留学先のケンブリッジで第4巻を安価(2ポンド)で入手しました。ケンブリッジの学者が前年に購入したものの、その後亡くなったので、古書店に出てきたのです。

 そのころ、この第4巻がよく古書目録に出てきました。すべて、紙の原装で、革装ではありません。ここから推察されるのは、第4巻は一般人の目に触れぬままずっとどこかの倉庫の隅に眠っていたのではないか、それが発見されて一挙に出回ったという可能性です。

 現代のわたしたちにとって、第4巻に含まれた詩の内容は、決して扇情的なものではありません。ひとつふたつご紹介したいところですが、やはりヴィクトリア朝の編纂者に敬意を表して遠慮しておきましょう。

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