
『本のある時間』は、さまざまなジャンルの本との出会いを通して、本を読むことの楽しさ、大切さ、手に取ることの喜びを共有するネット広場です。
このコーナーでは当サイトの編集委員が、その専門の視点を踏まえた本にまつわるコラムを掲載しています。
皆様の本との新たな出会いに繋がれば幸いです。

12/01/06 UP!
本が生まれて2000年以上経過しました。その間にさまざまな形の本が生まれました。そこで私のエッセイでは、現在あまり書店で見かけなくなった西洋の本を、できるだけ写真入りでご紹介したいと思います。書物史の素敵な世界に皆さんをご案内いたしましょう。
我が国でM. R. ジェイムズ(Montague Rhodes James, 1862-1936)といえば、書物研究家の紀田順一郎氏が『M. R. ジェイムズ全集』全2巻(創土社、1973)として翻訳した怪奇小説集の著者として知られてきました。『好古家の怪談集』(1905)、『続・好古家の怪談集』(1911)、『痩せた幽霊』(1919)、『五つの壺』(1922)といった、江湖に迎えられた短編集があるからです。
イギリスの伝統的な怪奇小説家の主流に位置するとして評価の高いジェイムズですが、これは彼の余技に過ぎません。好古家と自称するように、本来はケンブリッジ大学出身の聖書学者、古写本研究家で、数々の著作を残しています。それだけではありません。大学の行政職者としても比類なき才能を発揮して、31歳でフィッツウィリアム博物館の館長となり(その後任は前にご紹介したシドニー・コッカレル)、1905年から8年間に亘って母校キングズ・コレッジの学長を務め、1913年からの2年間はケンブリッジ大学の副総長に就任、名誉職の総長の代わりに実務をとりしきりました。しかもその間にイートン・コレッジ(ともにヘンリー6世が創設)の学長も務めたほどです。まさに八面六臂の活躍でした。
アメリカでは大学行政職は専門化していますが、イギリスでもようやく最近その傾向が強くなってきました。それまでは優れた研究者が優れた行政者である場合も多く、ジェイムズはその典型といえましょう。その上、温厚でユーモアに富んだ人物でしたから、ケンブリッジ内外で人々から慕われていました。74歳で没したその葬儀では、後にイートンの学長になるクロード・エリオットが「彼の学問は広く深かった。ある分野では世界中に比肩する者はいなかった。図体も大きかったが、魂も大きかった。学問も大きかった。笑い声も大きく、人間性の理解においても、友情においても偉大であった」(紀田順一郎訳)と弔辞を述べました。学者ならずとも、生前のジェイムズに会いたかったという人も多いことでしょう。もちろん私もそのひとりです。
『好古家の怪談集』(1905)
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ジェイムズが一生独身だったことは、当時としては珍しくありませんでした。彼は学生時代の親友で『好古家の怪談集』に挿絵を描いてくれたジェイムズ・マックブライドが早世した後、残された未亡人と娘の面倒をずっと見ました。30年もの間に彼がこの母子に送った膨大な書簡は、1956年に出版されました。
中世写本の研究者(私もその末席にいます)にとって、ジェイムズの名前はケンブリッジのコレッジ図書館に写本調査に出向くとき、きわめて重要になります。彼はほとんどすべてのコレッジ所蔵の中世写本の目録を編纂したからです。学長として多忙をきわめたので、毎晩開くコレッジのパーティの最中でも、テーブルの隅に積み上げた中世写本に解題を施すためメモをとっていたそうです。
そんなわけで、ジェイムズに関しては伝記が複数出版されており、欧米の中世学者にとっても今なお瞠目すべき研究者なのです。1995年に開催された彼の業績を再評価するシンポジウムでは、綺羅星のごとく並んだ写本の専門家が研究発表を行いました。2001年に出版されたこの時の論文集には、ジェイムズの詳細な書誌が加えられています。
左:ジェイムズがマックブライド母子に宛てた書簡集(1956)
右:1995年に開催された「M. R. ジェイムズの遺産」シンポジウムの論文集(2001))
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ジェイムズの伝記2点。R. W. パフの著作(1980)は決定版といわれる。)
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