Monthly ESSAYS

『本のある時間』は、さまざまなジャンルの本との出会いを通して、本を読むことの楽しさ、大切さ、手に取ることの喜びを共有するネット広場です。
このコーナーでは当サイトの編集委員が、その専門の視点を踏まえた本にまつわるコラムを掲載しています。
皆様の本との新たな出会いに繋がれば幸いです。

本と音と匂いと

本田 聖嗣
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12/02/17 UP!

「本のある時間」編集長の高宮利行先生は、

「本には書き込みをすべし」ということをいつもおっしゃっています。確かに、所有して何回も難解な本を読むとき(注:今月もダジャレです)には書き込みをした方が理解の助けになりますし、高宮先生によると、その書き込みで、古書としてのその本の価値が上がる場合もあるのだそうです。だからこそ、簡単に書き込みのできない電子書籍は、まだ紙の本に完全に取って代わることはない・・・といえそうですし、さらにいえば、書き込みの出来ない本は本ではない、ともいえそうです。もちろん、電子書籍でも書き込み機能を持たせることも可能ですが、紙の本よりは、手間がかかります。

楽譜のイメージ日本では、天然自然の物を無条件でありがたい、とする考えが大きいため、本にも書き込みをしない、または書き込まれた本は価値が低くなると思ってしまいがちです。私も実は本能的にそう思ってしまっており、自分の本なのに書き込みをためらったり、汚すのをなるべく避けたりします。本来、本にとって、「新品同様」なのは、あまりよく読まれていない、ということにつながるわけですから、決して本にとっては良い状態なのではない、と頭で理解していても、やっぱり筆記用具を手にとって、書き込んだり、ページを折ることをためらいます。

しかし、私の専門の本、つまり、楽譜に限っては全く逆です。書き込みは必須ですし、書き込むことによって楽譜の理解が深まったり、また具体的に演奏の手助けになったりします。一番良い例は、「指使い」でしょうか。楽譜にも校訂された楽譜なら、校訂者の指使いが一部指示されていますが、それだけでは満足とはいえず、特に使う指の本数が多いピアニストは自分の指使いを必ずといってよいほど、楽譜に記入します。もちろん、他の楽器でも同様ですし、弦楽器のオーケストラ譜のように弓の上下を奏者全員であわせる必要から「ボウイング」といわれる弓の使い方方向を記入するのも、ほぼ「必須」だったりします。さらに、指使いだけでなく、解釈、注意事項、実に様々な書き込みが楽譜には増えていきますから、使い込んだ楽譜は、なかなか他人様にはお見せできません。

自分の書き込んだ楽譜は、なかなか人に見せたくはないのですが、他人の書き込みはおもしろかったりします。といっても、日本ではなかなか他人が書き込んだ楽譜にお目にかかることはありません。友人と楽譜の貸し借りでもすればあり得るかもしれませんが、プロが使う楽譜でそのようなこと、つまり同業者同士の「職業上のヒミツ暴露」みたいなことはまずありませんし、他人が使った楽譜、つまり、ざっくばらんに言えば、中古楽譜の市場、というのは、クラシック音楽に関して言えば、ほとんど無いのです。

ところが、私の長年暮らしたパリでは、中古楽譜を扱うお店がありました。全部が中古品ではなく、ちょうど日本の古本屋の「100円均一」の棚のように、新刊楽譜のお店の一部に中古楽譜コーナーがあるというものでしたが、ここで他人の書き込んだ楽譜をみることが楽しみでした。さすがにフランスでもプロが使い込んだ楽譜を中古品として売る、ということは無く、そのほとんどが、アマチュアが使ったとおぼしきものでした。私の専門楽器のピアノは、アマチュアの愛好者も多いので、種類もある程度豊富で、値段も新刊に比べて大幅に安いので、最初は値段に惹かれて見るようになったのですが、次第に書き込みにも魅力を感じ始めました。楽譜の常として、指使いが数字で書かれていますし、それだけでなく、「先生はここをこういう風に弾けと言った」「ここはこんな感じで」「このような物語で」と書かれていて、あたかも自分がその見えない「前・楽譜所有者」の先生のレッスンを受けているような感じになるのです。芸術とは、「一つの正解」が無いようなものですから、自分が存じ上げている以外の先生に、タダで、いや、それ以上に「中古楽譜という安い値段で手に入れた上」、レッスンまで間接的に受けられる、という、とても貴重な経験が出来たのです。フランス人は一般的に多弁なため、書き込みも饒舌で、私にとってはさらにフランス語の勉強にもなる、という一石三鳥でした。さらに、中古楽譜は2つと同じ物は無いわけですから、掘り出し物を見つけるわくわく感と、一期一会の出逢い、というようなスリルも、楽譜店で楽しむことが出来たのです。

さて、このコラムでは、私の好きな新刊書店巡りと、専門である楽譜について、あるときは直接に、あるときはその周辺のことをつれづれと書き付けて参りましたが、連載するために考えを整理していくうちに、つくづくと、「出逢い」の重要性に気づかされました。このサイトのタイトルも、元々は、「本との出会い」という題名候補もあったように聞き及んでいますが、人でも、本でも、音楽でも、出逢いがないと、人生おもしろくありません。

楽譜のイメージクラシック音楽は、古く、しかも決まったバッハ、モーツアルト、ベートーヴェン、ショパンなどのレパートリーを繰り返し取り上げるので、新たな「出逢い」が無いように思われるかもしれませんが、さにあらず、歴史の波に洗われて残った名曲というのは、噛めば噛むほど味が出る・・・専門家が一生かけて繰り返し弾いても、そのたびに新たなる出逢い、つまり新鮮な感動があるのです。そういった深い内容がある曲だけが生き残った、ともいえるのですが、伝統のある芸術・芸能はみんな同じだと思います。

そして、本。本と人間の関わり合いは、「出逢い」につきます。おそらく、相手が人の場合と同じぐらい、出逢いは重要で、誰に、何に、出逢ったかによって人生が変わってしまうことさえあると思います。

やはり、そのためには、出逢いの場が重要。電子化されない、紙の森、つまり大きな書店こそ、理想的な出逢いの場であり、憩いの場なのだと、今では、確信しています。私の場合、好きな新刊本がすぐに絶版になるという巡り合わせの悪さがあり、「本のある時間」で推薦させていただいた、ごく普通の書店で買った本の4冊中3冊が、現在では手に入らない、というちょっとビックリな状況になってしまいましたが、それでも、時代の最先端の息吹と、ある程度定番化した古典を取りそろえる大型新刊書店は、私にとって、最高の出逢いの場所なのです。

ひとまず、この連載、「本と言葉と音楽と」はこの回を持ちまして終了させていただきます。お読みいただき、ありがとうございました。またサイトの中や、書店の中で、お目にかかれますように。

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