ホーム >連載 修理屋の本棚 第1回:母校の図書館には「本の本」が山ほどあった




本と文書の修理屋が連載をお引き受けすることになった。稼業の看板を掲げる前、掲げてから今にいたる中で出会った「本の本」と、それを通じてこそ知り得たヒトやコトについて書いてゆくことになる。そんなヒトがいたのか、そんなコトがあったのかと、読者の方が思わず膝を打つお話になりますかどうか。ともあれ、初見世の今回は看板を掲げるまでの、やや私事に偏したヒトとコトの話になる。
作家の安岡章太郎がこんなことを書いている。「慶応(義塾)というのは、卒業してからのほうが有難味がわかる」。安岡のどんなエッセイにあったのか、いまでは定かではないのだが、意味はこの通りだったのをはっきりと覚えている。読んだときに、ああ、本当にそうだなと、思い当たったからだ。
大学一年生を二回やり、昭和49年に卒業した私は、いまでいうフリーターだった。世の中の景気は良かったのか悪かったのか。調べればすぐにわかるのだろうが、景気などどっちにころぼうが知ったことではないという気持ちだったし、だいたいオトコのくせに文学部などというところを志望したときすでに、「将来、たいしたモンになることはないでしょうから、期待しないでね」と自分と周りに先付け不渡り手形を出したのである。そのとおりになった。フリーターでもとりあえず喰えた時代だったのだろう、そこがいまとは大違いで、金は無かったが生活には特に困らなかった。
ひょんな縁で洋装製本を習う機会を得た。牧製本という、日本を代表する版元製本屋さんで束(つか)見本を作る方が先生だった。束見本というのは、機械で本格的に本にする直前に、あーでもない、こーでもないと検討するための、外見を実物そっくりに似せたモデルである。これは一品料理で、手で仕上げるしかない。先生は御結婚したての美しい指の女性で、そのうえ人妻でもあった。新妻兼人妻の美しい指がすいすいと紙を折り上げ、すいすいと綴じてゆくのを見ているのは眼福だった。とはいえ眼福だけで満足してもいられないので、私もやってみた。紙を選び、革を選び、綴じ糸を選び、切った貼ったと、あれこれやって一冊仕上がったら、うーん、ハマッてしまったのですねえ。こりゃあ面白い !!
ふだんは限りなく怠惰なヒトがハマるモンをみつけると怖いです。小遣いのほとんどが本代で、もともと手を動かすのが好きで、叔父貴は日本で何人といわれた傘職人で、親父はといえば、えーッとなんといったらいいか、ま、職人肌の博打打ちというか、博打打ち肌の職人とでもいいますか、とにかく血は争えず、私はハマることを決心した、博打にじゃなくて製本に。馬鹿にしてはいけません、こうは見えても学士様、叔父貴と親父にゃ不義理だが、職工風情じゃ追っつかない、アプローチってもんがあるだろう。そうだ、洋装本というぐらいだから南蛮渡来、ならばそも南蛮ではいかなる製本がなされ、いかなる本が作られてきたのか? よしよし、それを調べてみよう。だが、洋行するには金が少し足りない、いや大いに無い。ならば何処で?
図書館ですね。図書館には本がある。本の本もあるだろう。製本の本だって、もしかするとあるだろう。ということで、私は母校の図書館を訪れることにした。我らが慶応義塾図書館では卒業生には塾員券というのを発行してくれて、これさえあれば開架書庫はもちろん、地下の閉架書庫にもずんずんと入って行けて見たい放題、コピーし放題(著作権の範囲内です、ええ、もちろん)---であることを私はこの時初めて知った。そしたら、ありましたねえ、本の本が山ほど、製本の本もかなり。なにせハマッてるわけですから、私は独自の分類による目録をまず作成し、最初は片っ端から目を通し、次はそこから選んだものを熟読することにした。土曜日はたいてい開館から閉館まで。暇だったんです。
しばらくしてハタと気づいた。日本でこんな、エグイというかシブイというか、本や雑誌を誰が読むんかね。例えば Scriptorium というタイトルの雑誌(元は「書写室」という意味。ほら、西洋の中世の坊さんがしんねりむっつり、何がおもしろいのか日がな一日、聖書の文言たらを書き写してるカビ臭い部屋があるじゃないですか、映画『薔薇の名前』の舞台の。あれです)。Scriptoriumは戦後間もなくブリュッセルで刊行された、印刷以前の手稿本を対象にした書籍学(コデコロジー)に関する超オタク的学術誌だ。ここに、Berthe van Regemorter という、還暦をとうに過ぎてから製本の研究を志したおばちゃんが書いた一連の著作は、それまでの製本史の考え方や手法を一変させた(このネタ、もったいないから、あとでね)。これを読むためにアンカットの丁を切り開いた時の興奮は---、ええ。オタクと言わば言え。それはともかく、そもそもこんなエグくてシブい雑誌、誰が集めてくれたの?
母校の図書館での「本の本」とともに過ごす時間は至福の時だった。が、やがて博打打ちでアル中の親父の息子は、親父の作った義理ある借金を肩代わりせねばならなくなり、病が心にまで及んだ母親を施設に入れて世話せねばならなくなり、能天気な妹を嫁に出さねばならなくなり、自分のは破談にせねばならなくなり、ということで、神様もそうそうお目こぼしはしないのである。安岡章太郎の初期の代表作『海辺の光景』は究極のトホホ小説だが、ここで戦後文学史を塗り替える事実を激白すると、主人公のモデルは実は私である(安岡は大正9年の生まれであり、したがってこの事実関係には齟齬があると思われるが、なお精査していずれ発表の機会を得たい、などという文学研究者は信用しないように)。ともあれ、そんなときでも、現在の本と文書の修理屋稼業を成り立たせてくれた本と、本の後ろに佇む何人もの良き人たち(元気とゴハンの源ですね)に、私は出会うことができたのである。感謝したい。だがここではだれよりも、出会いのキッカケをつくってくれた人、本の本を集めるように指示し、図書館に収めてくれた人たちにまっさきに感謝したい。この人たちの中にはおそらくは、いやきっと、当ホームページの高宮編集長も含まれるだろう。ちなみに私は高宮先生とは、学生時代はもちろん、いまにいたっても、一面識もないのだが。


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